ひねもすのたのた

とりあえず日常かな

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“おかあちゃん”になりたいとしても…

毎日新聞のサイバラと毛利甚八氏の対談を読んできた。

読んでいる途中、あ、ちりとてちんの違和感ってこれなんだよな、と気づいた。
私がなぜあれを若狭の選択としてすませることができなかったか。

母親に専業か兼業か、なんて関係ないじゃん。
私は専業主婦のすてきな母をいっぱい知っているし、
仕事をもつすてきな母もいっぱい知っている。

私はいい母親じゃないんだけれど、
でも専業だったらすんごくいやな母親になったと思う。
逆のケースもあり得る。

別に、若狭のおかあちゃんのような“母親”になることが、
母親になった人間の使命ではない。
でも、母親なんだからやっぱり子供の声が聞ける母親にはなりたいよね。

ちりとてちんで、若狭は「おかあちゃん」になるために
落語をやめるんだけど、彼女が落語をやめなかったら
子供の声は聞こえなくなったんだろうか?

そんなことはないと思うんだよね。

たとえ「おかあちゃんになる」ことが目標にしても
(別にそれを目標にしなくてもよいと思うけど、若狭はそれが目標だったわけだから)、
仕事をやめた方がいいおかあちゃんになれるか、
仕事を続けた方がいいおかあちゃんになれるか、
それは人によって違うんじゃないかな。

だから、若狭には試してみてほしかった、と私は思っている。
だって、子育てってやってみてはじめてわかることだらけだったもん。

若狭の選択は「専業じゃないといいおかあちゃんにはなれない」とも聞こえた。
それがたぶん私のいちばんの違和感。

えー、愚樵さん、刺激しないでくださいね!

☆ちなみに毛利甚八氏は光市裁判についても論評している。(判決前)

あの判決理由で気持ちが悪いのが、
供述内容を変えたことが死刑判決の理由のひとつになっていること。

弁護団が変われば、弁護方針が変わるというのはあたりまえのことに思えるんだけど。
その供述内容うんぬんではなく、供述内容を変えたこと自体が反省していない、と
なっちゃうというのが私にはよくわからない。

いずれにせよ、今後、凶悪事件を担当する弁護士にとっては
難しいことになりそうな雰囲気。

☆4/24 タイトルつけて、内容ちょっとだけ訂正
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Comment[この記事へのコメント]

こだわってますね 

まあ、それはお互いさまということで(笑)。

うっくっく(笑) 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.04.24 16:33 
  • [編集]
こだわってますとも!(笑)

でも、愚樵さんのおっしゃる母性が、男の目から見た母性でも、
完全に抽象的な意味の母性でもなく、
子供の目から見た母から派生したことを知ったので、ちょっとばかり鷹揚にかまえていられます。

そちらにもコメントしたいのですが、まだゆっくり読む時間がなく、議論についていってません><

対話の価値 

>子供の目から見た母から派生したことを知った

はい。告白してしまいました...。えあしゃさんに触発されて。直接のきっかけはdr.stoneflyさんのコメントでしたけど、ね。でもそれも、えあしゃさんの“叫び”があってのこと。また、そのdr.stoneflyさんも期間限定ですけど告白モードに入ってますね(笑)。

こういうのって、対話の価値だと思うんですよね。

自己に立ち戻る 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.04.24 23:03 
  • [編集]
ええ、対話してよかったと思いました^^

あの後、私がコメントしようと思ったことをdr.stoneflyさんがコメントされていました。

断ち切った後でふたたび戻ってくる。

それで別のもの、新しい視点と新しい言葉が見えてくるのかな、と私も思いました。
自己に立ち戻るのは、原点を確かめることかな?
いずれにせよ、原点を語って頂くことで、受けとる側もはじめて見えるものがありますね。

NoTitle 

  • Light 
  • URL 
  • at 2008.04.25 01:46 
  • [編集]
愚樵さんの「自分史」に感銘を受けて…
私も少々「自己に立ち戻る」話をさせてください。

私の「転機」は、流産でした。
それまでの私にとっては、出産や育児というのはキャリアを邪魔するものでしかなかった。
なぜ女性だけが…と、それらが無い男性を恨み、全く同等の環境にしてほしいと望んだものです。

それが、一人目の子を授かり(…厳密にはその前にも一度流産しています。しかしそのときはそれほど悲しくありませんでした)、子どもとの日々をいとおしく感じ始めた矢先、二度目の妊娠を家族で喜んですぐの流産…
これはこたえました。
子どもは「望めば持てる」と思っていた私は、なんと愚かだったのかと…

たった今行ってしまったこの子を取り戻すためなら、何でも差し出すのに…私は自分の傲慢さに神様から鉄槌をくらった思いでした。

もう一つ、感じたのは、
この流産の悲しみは、たとえ夫とでも共有することはできないだろう、という、圧倒的な孤独感です。
誤解の無いように申し添えますが、私の夫は私(と子ども)を深く愛してくれていますし、私もそんな夫を深く愛しています。
しかしそれでも、流産の悲しみや喪失感は結局は女性が一人で引き受けるしかないのです。

しかし私は同時に、(自分の悲しみに対処するので精一杯だった時期を過ぎた頃)妻の悲しみを知りながらどうしてあげることもできない、という夫の悲しみに、やっと思いをはせることができるようになりました。

それを母性と呼ぶのかどうか、それはわかりませんが、女性には、(そしてもちろん男性にも)それぞれにただ引き受けるしかない「業」のようなものの存在を、確かに感じたのです。

…少々饒舌に過ぎましたでしょうか?長々と失礼しました。
本当は、自分自身の母親との絡みで、もっともっと深い話があるのですが、きりがないのでやめておきますね。

とにかく私としては、これからの母性の話が、単なる不毛な傷つけあいにならないことを祈っています。

NoTitle 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.04.25 09:22 
  • [編集]
Lightさん

本当にありがとうございます。いまはそれだけしかいえませんが、
とてもうれしくてとても切なく感じます。

後で言葉を探してみますm(_ _)m。

ふたたび 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.04.25 23:17 
  • [編集]
Lightさん

Lightさんには本当の意味で学ばせていただいているように思います。

流産はどんなにおつらかったことでしょう。
でもやはり私もその苦しみを共有できないのですよね。たぶん想像もできない。

…私が娘を失ったら、と考えただけでも感じる胸を締め付ける痛みが
かすかにそれをなぞるものなのかもしれません。
それもはるかにLightさんの思いとは遠いと思いますが。

私の母は、私が生まれる前に1歳の娘を亡くしているので、
母ならお気持ちがわかるかもしれません。
私はその気持ちを聞くことも母を傷つけることもこわくて、たずねたことがないのですが。

> ただ引き受けるしかない「業」
もしかすると、人間は誰でも何かしら「業」を
引き受けなければならないのかもしれませんね。
いまの私は未熟で、おっしゃることをやはりきちんと理解できていないような気がします。
でも理解したいと思う。考えていきたいと強く思います。

NoTitle 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.04.25 23:21 
  • [編集]
愚樵さんが私は何かを生み出そうとしている、とおっしゃってくださったけど、
私ではなく、他の方々が生みだしてくださってますね。

こんな書き方をして傲慢でないなら、私もそれをとてもうれしく感じています。

NoTitle 

えあしゃさん、こんにちは。それからLightさんも。ご覧になっておられるでしょうか?

Lightさんのようなお話を伺うと、言葉を失ってしまいます。今はもう立ち直っておられるのでしょうけれども、それでも、当時に立ち戻られた心情を思うと、どんな共感の言葉も無力だと感じざるを得なくて...、立ち戻らせてしまって申し訳ありません、と謝罪したくなってしまいます。いえ、決してえあしゃさんや私が悪い事をしていたわけではないはずですが...。

いつかなめぴょんさんと話をしていたことですが、人間いくら通じ合っていると思っても、本当に心の奥底までは共有できないんですね。そのことを何かの拍子に思い知らされる。でも、それでも、やっぱり通じ合えると信じたいんです。共有できないのも「業」なら、共有したいと望むのも「業」なんでしょう。

共有できないと知りつつも、それでもやっぱり共有したいと願う。これを「愛」というんだと思います。誰とも交換できない「あなた」だからこそ、共有したい。

私は母にはなれず、また父でもありませんが、子ではある。その子にとってみて、誰とも交換できない「あなた」の最初の人は母です。そこがすべての出発点です。

すみません、また私の主張へ引っ張ってきてしまいました。ご勘弁ください。

なんだか 

  • Light 
  • URL 
  • at 2008.04.26 10:33 
  • [編集]
辛気くさくなってしまいましたね…すみません。
対話の場では、思わぬ深い話もできてしまうということに、自分でも感動しています。

でも私のように強烈に自覚させられる体験はそうないにしても、皆さんそれぞれに業を引き受けながら、懸命に生きているのだと思うのですよ。えあしゃさんも愚樵さんも…

共有できない。けれど理解したい、共有したいと願う。そんな「人間」を、何といとおしい存在かと感じます。

ところで愚樵さん、
>その子にとってみて、誰とも交換できない「あなた」の最初の人は母です。そこがすべての出発点です。
・・・実は私も、戻ってきたのは「そこ」なのですよね。
おっと、まだまだ語ってしまいそうなので、今日はこの辺にしておきます(汗)
ともあれ私もお礼を言わせてください。ありがとうございました。

むむむむむ 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.04.26 21:12 
  • [編集]
愚樵さん
Lightさん

>その子にとってみて、誰とも交換できない「あなた」の最初の人は母です。そこがすべての出発点です。

ふりかえってみて、どうだろう?
私はムスメにとって誰とも交換できない最初の人なのかしら? うーんわからない。

共有できないからこそいとおしい。共有できないからこそ努力する。
しばらく言葉の海にぷかぷか漂っていよう…

愚樵さんもLightさんもありがとうございます。

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