もうひとつの国歌強制
新聞を読むのがますます遅くなり、ただいま2カ月半遅れで進行中(笑)
朝日新聞にイスラエルの国歌の話が載っていた(村上伸一氏の記事)。
イスラエルといえば、ユダヤ人(と西欧人が無理矢理)がつくった国家であり、
いまもパレスチナへの侵攻を続けている。
しかし、そのイスラエルに多くのアラブ人が住んでいる、という
認識は、これまであまりなかった(最近の占領区は別にして)。
「ユダヤ人だけ民主主義の国」というタイトルのその記事には、イスラエルの国民のうち
約2割がアラブ系だと記されていた。
にもかかわらず、イスラエルの教育省の方針で、各学校は
「イスラエルはユダヤ人の民主主義の国」であると
こどもたちに教えなくてはならないという。
記事にはそうは書いていなかったのだが、国歌も教えなくてはならないらしい。
イスラエルの国歌は、シオニズムの歌でもある。
ハティクヴァ
(露西亞舘 ウラジーミルさんより拝借。表記は変えましたm_ _m)
ユダヤ人(びと)が望みは はるかいにしえより
シオンの地を目指すこと
いざ東へ向かわん
希望いまだつきず
二千年が望みは
シオンとエルサレムの地へ
自由を得るために
シオンとエルサレムの地へ
自由を得るために
アラブの人がこの歌を歌う、ではなく、歌えと強要される。
同胞が土地を追われ、かつてのユダヤ人と同じようにさまよっているというのに。
(なかには自分たちの土地が奪われた人もいるだろう)
記事中では、ある高校のサッカーの試合で、アラブ系の生徒の一部が
起立して国歌を歌うのを拒否したところ、
主催者は、全員が起立しないかぎり試合を没収する、と通告したそうだ。
これが「民主主義の国?」と聞き返したくなるではないか。
しかし、イスラエルもいま変わりつつあるらしい。
イスラエル建国60年を期にこのハティクヴァの歌詞を変えようとする議論が高まっているという。
歌詞中の「ユダヤ」を「イスラエルにすべき」とだというのだ。
内閣にアラブ系のマジャドレ氏(Raleb Majadele)が入ったことがその一端となったそうである。
ところで、どこぞの国もまた、一部の人々にとっては苦痛となる歌を強要する。
(しかも今日、学習指導要領に「愛国心」が入った、と…><)
日本にはいま、海外から多くの人々が訪れ、さまざまな人種の人々がいろいろな形で生活している。
国籍は日本でも、出身は中国や朝鮮半島、東南アジアといった人たちだって少なくない。
そういう人たちに日本の国歌を強制することが何を意味するのか、
“国歌を強制したい人たち”はわかっているのだろうか?(実はわかっているんだと思う)
こんなことをするかぎり、彼ら(そして私たち)に日本を愛せ、といっても無理だろう。
塩野七生の「ローマ人の物語」では、古代ローマの成功は、
ローマが軍事的に制圧した地域を強圧的に支配しようとしたのではなく、
ゆるやかな“同化政策”をとったことにあったとしている(だったと思う)。
そこに強制は混じっていない。
この政策は、ローマのもとでは自分たちはより大きな利益を得られる、と
制圧した地域の人々に思わせたことで力をもち得たのだ。
ローマが正しい、とか、すばらしい、と言いたいわけではない。
強制で従わせても、愛は得られない、と言いたいだけ。
前述のイスラエルの高校のアラブ系の生徒は最終的には国歌のときに起立したそうだが、
それによってイスラエルという国家やその国歌を敬ったわけではないことは確かだろう。
☆3/29夜 文章がおかしいところ数カ所直しました。
朝日新聞にイスラエルの国歌の話が載っていた(村上伸一氏の記事)。
イスラエルといえば、ユダヤ人(と西欧人が無理矢理)がつくった国家であり、
いまもパレスチナへの侵攻を続けている。
しかし、そのイスラエルに多くのアラブ人が住んでいる、という
認識は、これまであまりなかった(最近の占領区は別にして)。
「ユダヤ人だけ民主主義の国」というタイトルのその記事には、イスラエルの国民のうち
約2割がアラブ系だと記されていた。
にもかかわらず、イスラエルの教育省の方針で、各学校は
「イスラエルはユダヤ人の民主主義の国」であると
こどもたちに教えなくてはならないという。
記事にはそうは書いていなかったのだが、国歌も教えなくてはならないらしい。
イスラエルの国歌は、シオニズムの歌でもある。
ハティクヴァ
(露西亞舘 ウラジーミルさんより拝借。表記は変えましたm_ _m)
ユダヤ人(びと)が望みは はるかいにしえより
シオンの地を目指すこと
いざ東へ向かわん
希望いまだつきず
二千年が望みは
シオンとエルサレムの地へ
自由を得るために
シオンとエルサレムの地へ
自由を得るために
アラブの人がこの歌を歌う、ではなく、歌えと強要される。
同胞が土地を追われ、かつてのユダヤ人と同じようにさまよっているというのに。
(なかには自分たちの土地が奪われた人もいるだろう)
記事中では、ある高校のサッカーの試合で、アラブ系の生徒の一部が
起立して国歌を歌うのを拒否したところ、
主催者は、全員が起立しないかぎり試合を没収する、と通告したそうだ。
これが「民主主義の国?」と聞き返したくなるではないか。
しかし、イスラエルもいま変わりつつあるらしい。
イスラエル建国60年を期にこのハティクヴァの歌詞を変えようとする議論が高まっているという。
歌詞中の「ユダヤ」を「イスラエルにすべき」とだというのだ。
内閣にアラブ系のマジャドレ氏(Raleb Majadele)が入ったことがその一端となったそうである。
ところで、どこぞの国もまた、一部の人々にとっては苦痛となる歌を強要する。
(しかも今日、学習指導要領に「愛国心」が入った、と…><)
日本にはいま、海外から多くの人々が訪れ、さまざまな人種の人々がいろいろな形で生活している。
国籍は日本でも、出身は中国や朝鮮半島、東南アジアといった人たちだって少なくない。
そういう人たちに日本の国歌を強制することが何を意味するのか、
“国歌を強制したい人たち”はわかっているのだろうか?(実はわかっているんだと思う)
こんなことをするかぎり、彼ら(そして私たち)に日本を愛せ、といっても無理だろう。
塩野七生の「ローマ人の物語」では、古代ローマの成功は、
ローマが軍事的に制圧した地域を強圧的に支配しようとしたのではなく、
ゆるやかな“同化政策”をとったことにあったとしている(だったと思う)。
そこに強制は混じっていない。
この政策は、ローマのもとでは自分たちはより大きな利益を得られる、と
制圧した地域の人々に思わせたことで力をもち得たのだ。
ローマが正しい、とか、すばらしい、と言いたいわけではない。
強制で従わせても、愛は得られない、と言いたいだけ。
前述のイスラエルの高校のアラブ系の生徒は最終的には国歌のときに起立したそうだが、
それによってイスラエルという国家やその国歌を敬ったわけではないことは確かだろう。
☆3/29夜 文章がおかしいところ数カ所直しました。
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参考になります
ちょうどその頃にチベットがあり、少し後にはてな界隈がアイヌで盛り上がって(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY200803230259.html)、今も違和感をかかえています。
イスラエルの国歌や少数民族はこれまで問題意識になかったので、
おかげで勉強になりました。