ひねもすのたのた

とりあえず日常かな

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『神の火を制御せよ』

原題を『Command the Morning』というこの本は、
マンハッタン計画を題材にとったパール・バックの歴史小説である。
タイトルを忠実に訳すなら、暁に命ず、とか、暁を司令すってな感じだろうか。
聖書の黙示録の一節をとったタイトルだという。

マンハッタン計画とは、第二次世界大戦中に行われた
アメリカの原爆開発の国家プロジェクトであり、
そうそうたる科学者が顔をそろえた。

フェルミ、オッペンハイマー、アーサー・コンプトン、チャドウィック、
エドワード・テラー、ウィグナー、セグレ、ファインマン、フォン・ノイマン、、、

ヨーロッパでナチスの迫害を受けた、
あるいはナチスに反抗した科学者たちもぞくぞくとアメリカに亡命してきたため、
このときのアメリカには世界最高級の頭脳が結集していたといってもよいだろう。

マンハッタン計画で一堂に会した科学者たちは高揚していたに違いない、と思う。
常日頃は世界各国でバラバラにまったく異なる研究をしていた人々が集まってくる。
科学という同じ言語で話し、話したことが相手に容易に通じるだけでなく、
さらなる発想が相手から生まれてくるのだ。

しかも、彼らが取り組むのは、オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーが
発見したばかりの原子核の巨大なエネルギーだ。
太陽を輝かせている原理(厳密には核融合という点で違うけど)と同様の力を
人間が操ろうとするのだから。

マンハッタン計画の始まりは、ナチスの原爆開発を恐れたシラードが
アインシュタインに働きかけ、ルーズベルト大統領に原爆開発を進言した手紙を共同で書いたこと。

バックの小説では、シラードはシグニーという科学者として登場する。
ナチスから逃れてきたハンガリー人のシグニーは、科学者としての知性と
強い感情をもつ人物として描かれている。

しかし物語の中心になるのは、バート、スティーブ、ジェーンという立場も性格も
まったく異なる3人の科学者である。

<以下ネタバレあり>

バートは現実主義者であり、計画の推進者でもある。

繊細なスティーブははじめ計画に加わろうとしない。
彼が参加を決意するのは、日本軍がフィリピンで捕虜たちを残虐に
扱ったことで知られるパターン“死の行進”だ。

唯一の女性科学者であり、インド生まれという風変わりな出自のジェーンは、
“装置”を「使わない」ことを前提として計画に参加する。

いくつか印象深いシーンがある。
原爆が開発された後、バートがかつて親交を結んでいた
アメリカ在住の日本人画家ヤスオを強制収容所に訪ねる。
バートはヤスオに話したいこと、を話すことができない。

ジェーンは臨界事故を起こした科学者を看取る。
経過はJCOの事故と同じ、、、、
しだいに体中が侵され、腫れ、膿んでいくのだ。
ジェーンがメサ(原爆投下の実験場所)にいない間に投下実験は行われる。

閃光ときのこ雲が消えた後、実験場所のメサでは実験塔が蒸発し、
砂漠は緑の鏡のように変化していた。

たぶんこのとき、科学者たちの大部分は自分たちの手にしたものに気づいたのだろう。
すでにドイツは降伏している。一部の科学者たちは煩悶しはじめる。
バートに替わって計画の推進者になったスティーブは、
投下すべきかどうかを決めることができない。

原爆開発を進言したシグニーは原爆を使用しないよう大統領に訴えるため、
科学者たちの署名を集めはじめる(現実のシラードも)。
ジェーンは署名する。

ぎりぎりになってスティーブも、投下を止めようと奔走しはじめる。。

しかし政治判断は投下だった。小説では、
ソ連を警戒してのことだと示唆されている。
もちろん国民たち(そして自分たちを納得させるため)には
日本人をこれ以上殺さないため、
アメリカ兵士の犠牲者をこれ以上出さないため、と説明して。

当時、日本ではすでに終戦の道を探っていたことはよく知られている通りだ。
国体を保持して、、というやっかいな条件がついていたけどね。
でも停戦交渉の主要な窓口はソ連であり、だからこそソ連が参戦すれば
日本が降伏することは明白だった。

原爆投下後、バートの妻モリーは、バートに「息子なんていらない、
こんな世界で子供なんてもっちゃいけないのよ」という言葉を投げつける。

この小説はだから、科学者の物語であるのと同様、
それを取り巻く女性たちの物語でもある。
女性たちは何が進行しているのか知らされていない。

でも、モリーも、スティーブの妻ヘレンも、その結果を科学者よりも
はるかに鋭く感じ取っている。

他方、ジェーンは科学者と女性、西洋とそれ以外の世界という
2つの世界に同時に足を置く希少な存在であり、
だからどちらの世界からも求められる反面、
どちらの世界からも異端者とみなされてしまう。

でも彼女はどちらも捨てようとしない。
片方を優先はする、でも両方を受け入れていく。
それが美しくて、ちょっと哀しい。

ところで、後ろの解説にマンハッタン計画には女性科学者はいなかった、ってあるんだけど、
あれ、そうだったかな???

小説にはパーシーという科学者が出てきて、彼は
核の情報は世界が平等にもつべきであり、
それによって核を使わずにすむ、という理念を語っているんだけど、
彼のモデルはクラウス・フックスらしい。

でも、同じことをボーアも主張したというのを見た覚えがあるなあ。

ついでにちょっと監修者への文句。
途中、数行著者の勘違いと思われる部分があるのでカットした、とあるけど、、、
歴史小説であるだけでなく、文学作品でもある以上、それはまずいと思う。

気になるなら、脚注を付けてこの部分、おかしい、としておけばいい。
おかしいかどうかは、読者が判断すべきことだと思う。

あー感想にもならない感想ですが、眠いので終了です。


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Comment[この記事へのコメント]

ちょっと恐い話 

マンハッタン計画に関する新事実:

実は、この計画で合計4発の原爆が1945年夏に製造された。最初の1発は7
月にニューメキシコの砂漠で実験に使われた。次の2発は8月初めに広島と長崎
に投下された。最後の1発は、8月末に使用が予定されていたが、日本が8月1
5日にとうとう降服したので、結局使用されなかった。第3の被曝予定地は一体
どこだったのだろうか? なんと小倉と新潟がこの候補地にあがっていた。

The Manhattan Project produced four atomic bombs. One was tested July 16,
1945, at a bombing range site known as Trinity near Alamogordo, New Mexico.
Two others were dropped on the Japanese cities of Hiroshima and Nagasaki
on August 6 and 9, 1945. A fourth was ready for use in late August, but by
then Japan had surrendered and World War II had ended.

http://encarta.msn.com/encnet/refpages/RefArticle.aspx?refid=701610456

NoTitle 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.02.05 21:34 
  • [編集]
Heidiさんはじめまして。コメントありがとうございます。

計4発が製造されたというのは存じませんでした。
小倉と新潟は、もともと投下の候補地としてあがっていましたね。

歴史に「もし」はない、と言いますが、すでにソ連を通じて終戦交渉が
海面下で始まっていたこと、2度の原爆投下とソ連の参戦ということで
日本の降伏を見込んでいたでしょうから、
アメリカ側は4発目の投下はあまり想定していなかったのではないでしょうか。
(ウラン型とプルトニウム型の両方を投下したのだし…)

ちなみに4発目はウラン型とプルトニウム型のどちらだったんでしょうね?

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